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2008年01月31日

この人のものまねする人多すぎ。。

元祖は春一番ですよね!

アントニオ 猪木(アントニオ いのき、英語表記:Antonio-Inoki、本名:猪木 寛至(いのき かんじ)、1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー、元参議院議員。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。

新日本プロレス創始者で元オーナー。愛称は「アントン」。

今日の日本のプロレス・格闘技の歴史を語る上で(猪木自身は、プロレスと格闘技を区別することを嫌っているが)、力道山、ジャイアント馬場と並んで欠く事の出来ない存在であり、多くの世界のプロレスラー・格闘家に影響を与えている存在である。1995年には北朝鮮で、「スポーツと平和の祭典」を開催している。北朝鮮政府によると、この大会では2日間で38万人の観客を動員した。

引退後はUFO、PRIDE、INOKI BOM-BA-YEの盛り上げ役や、猪木完全プロデュースによる「ジャングルファイト(MMA/VT)」をブラジルで開催していく。なお、2002年8月28日に行われた「Dynamite!」では、上空3,000メートルからのスカイダイビングに挑戦。91,107人(主催者発表)の観衆が待つ国立霞ヶ丘陸上競技場への着地に成功した。

その後の2005年11月14日に自身の持つ新日本プロレスの株式(全株式の51.5%相当)を株式会社ユークスに売却し、事実上新日本プロレスの経営から身を引いた。以降は自身が提唱したバングラデシュ興行が中止になる等、同団体への影響力は全盛時ほどは無くなりつつある。

その後、2006年4月にはアメリカの新興総合格闘技団体IFLの世界大使に就任し、同年9月には、IFL参戦のため東京サーベルズを結成し監督に就任する。同9月には自らが企画し、モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明した格闘技イベント「INOKI GENOME ?格闘技世界一決定戦?」の開催延期を発表するなど、試行錯誤を繰り返していたが、2007年3月、新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」を発足させ、自身が社長となると共に6月に旗揚げ戦を行った。なお、同時期に娘婿であるサイモン・ケリー猪木も新日本プロレス社長を辞職、IGFへ合流した。

また、2007年7月11日、交友のあるTRIPLE-Pと“TRIPLE-P vs アントニオ猪木”を組み、アントニオ猪木の名言「道」を曲にして発売した。道のCDジャケットの裏側はアントニオ猪木の手書きの「道」が書かれているプロモーションビデオにも出演しDJプレイしたりサンプラーを叩いたりする。

2007年12月20日の有明コロシアムの小川直也対安田忠夫戦の試合終了後、レフリーの制止をも聞き入れず暴れまわる小川直也を止めるため乱入し、裸絞めで小川を失神させた。小川は「もうお前は師匠ではない、敵だ」と言い放ち、猪木に対し反旗を覆す。猪木自身もプロレス復帰をする模様である。

2007年12月31日の大みそかハッスル祭りに先日の事もあり、急遽ハッスル軍としてハッスル初参戦し、プロレス復帰する予定であったが、有田総統が先日のネタをモノマネしてことなきを得た。
(以上、ウィキペディアより引用)

引退後も多方面で活躍してますよね!

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